恭子先生の看板
「こんにちは〜」
私は照りつける日差しから逃げるように、その店に飛び込んだ。
「お、恭子ちゃん。いらっしゃい」
顔中にヒゲをたたえた、見た目も暑苦しい中年のおじさんが返事をしてくれる。
あんななりでも、この店のマスターである。
この店は私がこっちの世界に来てから、最初に見つけたコーヒー専門店。
店頭に置いてある豆をその場で挽いて淹れてくれる、ちょっと本格的なお店。
インスタントも嫌いじゃないが、やっぱりこだわるなら本格的に、よね。
この店は商店街から一本離れた道にひっそりと佇んでいる。
「今日はどうする？」
「任せるわ。そうねぇ、お給料も出たし、ちょっとリッチに行こうかしら」
この店に来たら基本的に決まった注文をしない。
いわゆる『店長のお任せ』で飲むのが、ここでの私のスタイル。
「じゃぁ、俺の裸エプロン付きでブレンドコーヒーだな。1万円でいいよ」
「何時の時代よ…」
ちなみにブレンドコーヒーはこの店で一番安いコーヒー（250円）である。
おじさんの裸エプロンには9750円もの付加価値があるらしい。
「昔は流行ってたんだけどなぁ」
遠い目で黄昏るおじさん。
「それに店員が若い女性じゃないと意味ないじゃない」
男の人が裸でエプロンを付けてたら、来る客も来なくなってしまうだろう。
「んじゃ恭子ちゃん、やってくれるか？」
「お金積まれたって遠慮するわ」
私は即答した。
「そうだよな、恭子ちゃんの歳じゃな」
「あんですって！？」
私はこれでもまだ、にじゅう…なんでもないわ。
「んじゃ、適当に見繕ってみるよ。どっちで淹れる？」
「この時期にホットは無いでしょ。んー、水出しでよろしく〜」
「了解。少し待っててな」
そして、この店に来るとやることがもう一つ。保健室に下げる看板の物色である。
この店のマスターは変な看板をどこからともなく持ってきては、店内に飾るのである。
それが噂を呼んで、客の中からも妙な看板と言うかガラクタというか、それを貰い受けるようにもなっていた。
しかし、この店のセンスはなかなか私に合うみたい。
保健室の入り口に敷いてある『いらっしゃいませマット』もここからいただいたものだ。
私は何か新しいものが入っていないか、店内を少しうろうろする。
こういうちょっと趣味の偏った店だからか、休日の日中でも客は私しかいなかった。
ホントに経営、成り立ってるのかしら？
後ろからコーヒー豆を挽く音がする。
ここのマスターは割と面倒くさがりだが、コーヒー豆は自分で挽いている。
必要な時に必要な分だけ用意する。作り置きはしないらしい。
チェーンの喫茶店なんかだと機械で自動にやってくれちゃうご時世に、大したものである。
『プロだからな』
自称・プロを名乗る彼だから、こだわりがあるのだろう。
と、話を戻して例の看板の類。
「おじさん、いつから冷やし中華始めたの？」
店の端に『冷やし中華はじめました』のノボリが立っていた。
「おう、希望があれば作るぞ。ダシはコーヒーだがな」
そういって豪快に笑う。そのセンスが好きだ。
いくつか見て回っていると欲しいものが二つほど見つかった。
しかし、この前も貰ったばかりなので、頼むとしたらどちらか一つだろう。
一方は
『大感謝祭・開催中』
と言うノボリ。そして、気になるもう一方は
『味に自信有り』
という暖簾。んー、どちらも捨てがたいわ。
そろそろ学校に常備してある非常食の賞味期限が切れそうなのよね。
ダメになる前に職員や生徒に無料で配っちゃうからそれに合わせる感じで。
だから、どっちを貰ってもあながち嘘ではないって訳。
J○ROに訴えられることもないわね。
「おじさん、この2つのどっちか譲ってくれない？」
私はその2つを指差して、おじさんに聞いてみる。
「ん？あぁ、構わないよ。別に両方持っていってもいいけど？」
首だけをこちらに向けて返事するおじさん。
「さすがにそれは悪いから遠慮するわ。んー、どっちがいいかしら…」
「恭子ちゃん、保健の先生なんだろ？何に使ってるんだい？」
「ひ・み・つ」
結局、『大感謝祭・開催中』のノボリを貰うことにした。
味に期待されると困るわね、所詮は非常食だし。
ちなみにこのノボリは近所のパチンコ屋から譲り受けたものだそうだ。
なんでも、感謝しすぎて赤字経営が続いてしまったらしい。
そのパチンコ屋はまとまってコーヒーを注文してくれた常連だったようで、店をたたんでしまったことで
おじさんも「大打撃だよ」と嘆いたそうな。
でもそうね、コーヒーは店頭だけじゃなくても需要はあるのね。違う意味で感心してしまった。
「あいよ、水出しアイスコーヒーね」
「ありがと」
私は席に戻ると淹れたてのコーヒーを口に含んだ。
結なんかはミルクと砂糖が無いとダメだけど、私は基本的にブラック。
素材の味が一番引き立つ飲み方だ。水出しコーヒーの独特の苦味が良い感じ。
「うん、美味しい」
「ゆっくりしてってくれ」
私の感想に満足そうに頷くと、それだけ言い残してカウンターに引っ込むおじさん。
時おりテレビに目をやりながら食器を洗い始めた。
むぅ、あれだけの汚れ物がどこから出てきたのか疑問だわ。
私は窓の外に目をやりながらコーヒーを啜る。
照りつける陽射しは夏そのもの。もう梅雨明けといってもいいだろう。
あら、あそこにいるのは久住と…結？
見る限り、結が久住を先導してるみたいだけど。
休日に珍しい組合せね。ちょっとからかってやろうかしら。
となれば、あの2人を見失うわけには行かないわね。
「おじさん、急用が出来たからノボリはまた今度取りに来るわね」
「なんだ、もう行っちゃうのかい」
「えぇ、悪いわね。お代はここに置いとくから」
私は千円札をグラスとコースターの間に挟むと、少し急ぎ足で店を出た。
「毎度〜」
店を出ると久住と結から少し離れたところで2人の様子を伺う。
なによ、いい雰囲気出してるじゃない。
でも、からかうには都合の良いシチュエーションね。
「教師と生徒の禁断の関係かしら？ふふ、面白くなりそうね」
〜あとがき〜
我ながら驚きです。恭子先生オンリーSSですよ。
まぁ恭子先生もいじりやすい人物なので、書いてて楽しかったですけどね。
ちなみにコーヒーの知識はないですから、雰囲気だけで読んでください（笑）
さて、恭子先生の年齢についてですが…？
教員免許を持ってるってことは大学を卒業してそうだし、久住君が1年の頃から
蓮見台学園にいたらしいので少なくとも教員を2年は経験している、ということで。
現役大卒でそのまま職員に採用されてたら…24歳ですかね。
まぁ女性の年齢について深く考えちゃいけないです。