夏風邪
「まったく、夏風邪は馬鹿がひくんだぞ」
「うっさいわねぇ」
直樹に嫌味を言われて腹が立つ。しかし、今の自分の置かれた状況を考えると、ヘタなことを言うのは良くない。
両親は相変わらず仕事のため不在。となれば、不本意ながら頼る人物は直樹しかいないのである。
「下にいるから、何かあったら呼べよ」
「うん…」
いつになく優しい直樹に毒気を抜かれてしまう。
直樹は私が風邪を引いたことを知ると、迷うことなく学校を休むことにしたのだった。
昨日の朝から調子が悪く、学園に行ったものの午後は敢え無く早退。
直樹の自転車の後ろに乗って帰宅して以来、直樹は基本的にそばにいてくれている。
「もうそんなに子供じゃないのに…」
私はごろんと寝返りを打った。
直樹が世話をしてくれるのは嫌じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。
なんだかんだで面倒見の良い直樹は素直に私の世話を焼いてくれていた。
さすがに料理は無理だけど、分担していた家事を、掃除とかは全部直樹が引き受けていた。
下着の洗濯はお母さんに任せている。直樹にやらせたら、何をするか分かったもんじゃないし、恥ずかしいことこの上ない。
ただでさえ、直樹は保奈美さんと私を比較するんだもん。保奈美さんに敵うわけ無いじゃない。
それに、少し前に私の下着をまじまじと見てたことがあったし。
いくら従兄妹でも、やっていいことと悪いことがあるわよ。
「あ〜う〜」
少し頭に血が上ったのが原因なのか、頭痛がする。
ガンガンと響くような頭痛をこらえながら、私は少し眠ることにした。
次に目が覚めたのは時計が16時を少し回った所。少し傾いてきた陽射しで目が覚めた。
寝汗をかいていて気持ちが悪かった。新しいパジャマに着替えよう。
重い体を引きずりつつパジャマを脱いだ。
「う〜、暑いのに寒い」
自分でも何を言っているのか良く分からない。
せっかくだから下着も替えてしまおうか。
私はその格好のまま、別の引出しを開ける。
そんな最中、突然部屋のドアが開いた。
「茉理〜、ちひろちゃんがお見舞いにきてくれたぞ〜」
「え？」
ごそごそと、新しい下着を出そうとしている所だった。
顔をドアに向ける。直樹がいた。その後ろにちひろの姿。
直樹の視線は私の身体の上から下へ。えっと、直樹？何やってんの？
直樹は一つ溜息をつくと
「気にするな、今さらお前の下着姿なんて興味な…へぶっ」
体が勝手に動いていた。最後までものを言わせなかった。
一気に間合いを詰めると、直樹の顔面に右の拳を叩き込んでいた。
人間、危機的状況に立たされると案外なんとかなるものである。
「ま、まつり…」
直樹は顔面を押さえうずくまっている。
「何よ？」
私は足元で顔を抑えて転がっている直樹を睨みつけた。この期に及んで何を言うつもり？
「しまぱんは美琴せんよう、ごはっ」
「コロス」
有無を言わさず踏みつけた。ついでにぐりぐりする。
「うぐぉ」
よく分からないうめき声を上げる直樹。少しでも頼りにしてた自分がアホらしい。
「ま、茉理。それよりも早く着替えちゃってよ」
一人だけ置いてきぼりだったちひろが割って入る。
そっか、私まだ着替え途中だったんだ。
もう手遅れだけどブラとショーツを隠しながら、つま先で直樹を蹴飛ばしつつ部屋の外へ追いやる。
下着を替えている最中でなかったのは不幸中の幸いか。もう少しタイミングがずれていたら、もっと大変なことに。
あー、やめやめ。過ぎたことは仕方ない。悔しいことこの上ないが。
ドアを閉じて着替えを進めた。
外の話し声が僅かに聞こえている。ちひろが直樹に自分に任せるよう言っているようだった。
ふらふらする頭でなんとか着替えを終え、ドアを開ける。
そこにはもうちひろしかいなかった。
「大丈夫、茉理？」
心配そうに私を見るちひろ。
「あんまり大丈夫じゃない。特に今ので」
私はちひろにクッションを用意すると、ベッドに腰掛けた。
すぐにでも横になりたい気分。でもせっかくちひろが来てくれているのに申し訳ない。
「辛かったら横になってていいよ？」
「…うん、そうする」
ちひろの申し出を受け、私はベッドに横になった。
「で、今日はどうしたの？」
横になって首だけちひろの方に向け話し掛ける。
「うん、昨日からのノートのコピーと、お見舞い」
私が脱ぎ散らかしたパジャマを丁寧に折りたたみながら、ちひろが答える。
「あ、でももしかしたら風邪、伝染っちゃうかも」
「大丈夫だよ。私は夏風邪は引かないはずだし」
笑顔でえへんと胸を張るちひろ。
「えっと、私へのあてつけ？」
「じょ、冗談だよぉ」
なんか今日のちひろ、キャラが違う気がする。
「いつもの茉理と違うから、なんか可愛く思えちゃって」
「もう、全然そんな事ないのに」
「いいから、病人さんは黙ってお世話されてればいいの」
いつになく押しが強いちひろだった。
それから少しの間だけど、昨日の午後以降、学校であったこととかを話した。
「もう帰っちゃうの？」
「うん、あんまりいても悪いし」
帰り支度を始めたちひろ。ちょっと寂しいかも。
「それじゃ、早く良くなってね」
「うん、今日はありがとう」
ちひろが部屋を出たところで、ちょうど直樹が通りがかった。
「あ、ちひろちゃん。もう帰るの？」
「はい。そうするつもりです」
「せっかくだからお茶でも飲んでいってよ」
「え、でも…」
ちひろが私を伺うように視線をよこす。
でも私は、気にしてないフリをした。
「気にしないで。せっかく来てくれてるんだから」
「それじゃぁ少しだけ」
そして二人は階段を下りていった。リビングのドアが閉まる音がした。
「…」
気になる。いま、1階には直樹とちひろが二人っきり。
「あ、じゃぁお台所お借りしますね」
「いやそんな、悪いよ」
「いいえ、久住先輩にはいつもお世話になってますから」
「いやいや、せっかく茉理の面倒見てもらったんだし、俺がやらないと」
「いえ、私にやらせてください」
お茶をどっちが淹れるかでもめる二人。
そのとき、不意に触れ合う手と手。
「「あ」」
見詰め合う二人。
「ちひろちゃん…」
「久住先輩…」
「って、なに考えてんのよ！、あたしは！」
思わず私はベッドから跳ね起きた。
いけない。妄想が暴走してしまった。
「あ、あう…」
頭がくらくらした。風邪を引いている体でそんな動きしたら当たり前だ。
あの二人の事だからありえない話じゃないけど…いやいやいや。
私は改めて横になったのだが。どうしよう、様子を見に行きたくて仕方ない。
だけど今降りて行ったら不自然極まりないし。私は寝てることになってるんだもん。
でも、やっぱり気になる。
私は気だるい体を引きずりながらドアまで来ると、少し開けて下の様子をうかがった。
直樹の笑い声が聞こえた。僅かだがちひろも一緒に笑っている声も聞こえる。
楽しそうだった。
悶々。
どうしよう。
悶々。
気になる。
悶々。
悩んでても仕方ない。
意を決して私は下に行くことにした。
理由は…なんだっていい。理由を聞かれたら、そのとき考えればいいや。
私はゆっくり階段を下りていく。
が、なんたる不注意。最後の1段を踏み外した。
どすん。
鈍い音がする。
しこたまお尻を打ちつけた、不意だったので、受身の取りようもない。
「あいった〜」
打ちつけたお尻をさする。
すぐにリビングのドアが開いて、直樹とちひろが出てきた。
「茉理、お前なにしてんだ？」
呆れたように私を見る直樹。
「あは、あはは…」
私は笑うしかなかった。
結局私は直樹におぶられ、部屋に強制送還。
自分で戻ると言った私を無視して、直樹は私を背負った。
その間にちひろは帰っていった。最後に申し訳なさそうな顔をしていたと思う。
余計なこと、しちゃったなぁ。
そして再びベッドに横になっている。
「ったく、何を考えてるんだか」
ベッドのすぐ隣に椅子を用意して、悪態をつく直樹。
「ごめん…」
今回は一方的に私が悪い、何も言い返せなかった。
少しの間、お互いが無言になる。
先に口を開いたのは直樹だった。
「一回しか言わないからな」
視線を逸らし、そう前置きした直樹。
「一応、心配してんだぞ」
わしゃわしゃと乱暴に私の頭を撫でる直樹。
「…うん」
直樹は少し顔が赤かった。それはたぶん私も。
翌日。
「茉理ちゃん、ふっか〜つ！」
今日はスッキリ目が覚めた。昨日までの体調不良が嘘のように体が軽い。
鏡台の前に立ち、無意味に両腕を振り回してみる。うん、快調快調。
健康って素晴らしい。
時計を見ると、登校にはまだ早い時間。
この時間なら、まだ保奈美さんも来てないかな。
よし。
私は着替えを済ませると、となりの部屋に急いだ。
どうせ直樹はまだ寝てるから、ノックの必要も無い。
直樹の部屋のドアを開ける。開口一番。
「直樹〜起きろ〜」
〜あとがき〜
そんな訳で、茉理ちゃんのある日の出来事でした。
きっと家族ってそんなもんなんでしょう。