育ててみたい花？
「こんちわ〜」
俺は今日も温室を訪ねた。中間テストがあった関係で今日が1週間ぶりである。
「あ、久住先輩。こんにちは」
ちひろちゃんが笑顔で出迎えてくれた。そう、これがあるからやめられないのだ。
恭子先生のコーヒーと煎餅に釣られて温室の掃除をしたのが約1ヶ月前。
以来、ちょくちょく温室に顔を出しては手伝いと称して、温室で作業を行っている。
肉体労働が中心だが、ちひろちゃんの笑顔が見られるなら安いもんだ。
したごころ？なくはないが、まぁ気にしないでくれ。
「すいませんが、今日もよろしくお願いします」
最初は恐縮していたちひろちゃんだが、最近は俺を頼ってくれるようになった。
少しは近づけたのだろうか。もしそうであったら嬉しい限りである。
「えっと、今日はどうすれば良いかな？」
テスト期間中もしっかり手入れをしていたのだろう、温室の鉢植えに雑草は全然生えていなかった。
「あの…ちょっと難しいお願いしても良いですか？」
上目遣いに聞いてくるちひろちゃん。
くぅ、この表情がまたなんとも…いかんいかん、今はそういうことを考える場面じゃないな。
こんな顔でお願いされて断るヤツは男じゃない。
「あぁ、俺に出来ることなら」
俺が快諾するとちひろちゃんは微笑んだ。うん、やっぱりちひろちゃんの笑顔は可愛い。
「えっとですねぇ…」
ちひろちゃんのお願い、受諾中。
「はい？」
俺は耳を疑った。思わず聞き返してしまう。
「あの、やっぱりそういうのは苦手ですか？」
ちひろちゃんが瞳を潤ませながら見上げてくる。
くっ、こんな時に…その目はずるいぞ、ちひろちゃん。
「いや、大丈夫大丈夫。俺に任せてくれ」
あぁ、俺ってば馬鹿で単純。自己嫌悪。
「すいません。それじゃぁお願いします」
ぺこりと頭を下げるちひろちゃん。俺は笑うしかなかった。
30分後…。
俺は手にしていたビニール袋を見て溜息をついた。
中には昆虫、どちらかというと害虫に分類される虫が何匹も入っていた。
なんでも3日ほど前から食虫植物を温室で飼育し始めたそうで、エサが必要らしい。
ウツボカズラ、ハエトリソウ、その他良く分からない名前の植物を聞いた気がする。
なぜに食虫植物なのか？もっともな疑問だったが、ちひろちゃんは言葉を濁すばかりで答えてくれなかった。
『育ててみたい花があるんです』
ちひろちゃんが恭子先生に入部の意思を伝える時、そう話していたのを思い出す。
…もしこれらがその花だとしたら、ちょっとヤだな。
そもそも、食虫植物って花が咲くんだっけ？…まぁいいか。
袋の中で羽音を立てているのが恐ろしい。いや、これもちひろちゃんのためだ。そう自分に言い聞かせる。
俺は蛾とかハエとかが入った袋と一緒に、重い雰囲気を引きずったまま温室に戻った。
「ただいま」
「あ、久住先輩」
温室に戻ると、やはり笑顔でちひろちゃんが迎えてくれる。あぁ、癒される。
「えと、これぐらいでいいのかな？」
俺は手にしていた袋をちひろちゃんに見せる。
半透明な袋に不気味に映る黒い斑点の数々。
その幾つもが、まだ元気よく蠢いている。
「はい、これだけあれば3日は大丈夫だと思います」
嫌な顔一つせずに、むしろ笑顔でその袋を受け取るちひろちゃん。
『3日は大丈夫』…深くは突っ込むまい。
「じゃぁ早速」
ちひろちゃんは虫が入ったビニールを持ったまま、温室の備品庫へ移動した。
なんとなく俺もその後に付いていく。
と、ちひろちゃんは薬品棚から殺虫剤を取り出した。
何に使うのだろう…いや、殺虫剤なんて他に使い道は無い。
「あの、ちひろちゃん？もしかして」
ちひろちゃんは俺が何を言おうとしてるのか理解したのか
「はい。残念ですけど、ここで死んでもらいます」
あんまり残念そうではない表情で、ビニール袋を見つめながら言うちひろちゃん。
というか今のセリフ、怖すぎる。
「久住先輩、袋の口をちょっと開けたまま持っててもらえますか？」
ちひろちゃんからビニール袋を預かり、少しだけ口をあける。
その隙間から、ちひろちゃんが殺虫剤を一吹き。
シュっと音がしたあと、独特の匂いが鼻を突く。
「あ、もう閉じちゃって良いです」
ちひろちゃんに言われ袋の口を閉じた。
「そのまましばらく待ってください」
そう言うと、ちひろちゃんは俺をよそに備品庫の整理を始めた。
その間に、さっきまでバタバタしていた虫たちがどんどん静かになっていった。
やがて、ぼとぼととビニール袋の下のほうに黒い塊が溜まって行く。
あまりにリアルな光景に俺は閉口した。食事中に思い出したら、飯が絶対にのどを通らなくなる光景だよな。
しかし、ちひろちゃんは大して気にした様子もなく
「これで植物も元気が出ますね」
笑顔だった。
「えと、それって…例のアレにあげるんだよね？」
もう何も動かなくなった袋を手渡すついでに聞いてみる。答えなんて分かり切っているのだが。
「はい、生きたままだと逃げられちゃいますから」
袋を受け取ったちひろちゃんは温室の奥へ向かう。
温室の奥の一角、そこに食虫植物は植えられていた。
独特の形をした植物のいくつもが、その存在を示すかのように茂っている。
あぁ、図鑑で見たまんまだ。それをこの目で見る日が来るとは…。
感慨にふけっていると、ちひろちゃんはおもむろにピンセットで虫を摘まんで葉の上に乗せた。
粘液がついた葉の上にハエの死骸が乗っかる。
同じように、他の枝葉にも虫を乗せていくちひろちゃん。
うわ、死骸を乗せたら葉っぱが閉じたよ。すげぇ…。
こんな姿を何も知らない生徒が見たら、絶対に誤解する光景だ。
多分、いや絶対に茉理でも引く。間違いない。俺だって逃げたい…。
考え方の違いだろうか、ちひろちゃんは小動物にエサをやるような感じで、食虫植物の世話をしている。
「今日はこのくらいで大丈夫かな」
一通りの世話をするとちひろちゃんは立ち上がった。
俺はその姿をずっと見てたわけだが…なんというか、踏み込めない壁みたいなのを感じた。
「今日はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げるちひろちゃん。
「いや、これくらいなんの」
精神的なダメージを負いつつも、それをちひろちゃんの笑顔で相殺している俺。
「またお願いしてもいいでしょうか？」
上目遣いのちひろちゃん。くっ、またその表情か！？
「あ、あぁ…そうだね、任せてよ」
あぁ…そうだね。俺ってバカかもね。
「はい、ありがとうございます」
ちひろちゃんの笑顔がまぶしかった。
俺の努力の甲斐あって、例の食虫植物は一般的な寿命よりも長生きしたそうだ。
ちゃんちゃん。
〜あとがき〜
おかしいなぁ、どこで道を間違ったんだろう。ギャグっぽくなってしまいました。
というか逆に引くな、このSSを読んだら。
温室で食虫植物を飼っちゃいけません、ってことはないので遊んでみました。