一番古い記憶
（ここはどこだろう？）
目を覚ました僕の目に最初に入ったものは真っ白い壁だった。
少しだけ視界がぼやけている。
身体を動かそうとしたが、まるでかなしばりにあっているかのように、全然動かすことが出来ない。
（僕、どうしたんだろう？）
思い出そうにも頭が混乱しているのか、何も思い出せない。
やがて視界がはっきりしてくる。さっきの白い壁が天井だということがわかった。
（僕は寝ているの？）
上手く体が動かせないけど、目の動かせる範囲で自分の姿を見る。
「あ、なおくん！」
僕の足元から女の子の声がした。体が動かないから、その声の持ち主は見えないけど
どこか懐かしい感じがする声。いつも聞いていたような声。
でも、誰の声だったろう。お母さんかな。
その女の子の声に反応するように、僕の周りが騒がしくなる。
と、知らないおじさんが僕の顔を覗き込んだ。
「直樹君、私がわかるかい？」
そういって僕の目の前で手を振っている。
「…っ…」
しゃべろうとしたけど、声が出ない。僕は動かない体を必至に動かそうとする。
首が少しだけ動いてくれた。
「意識は戻ったようだな。まだ動けないだろう？もう少し眠っているといい」
おじさんは僕の頭を2回撫でると、僕から離れて行った。
「もう大丈夫でしょう」
そんな声が遠くから聞こえた。
意味が良く分からない。でも、眠いや。言われたとおり、もう一回寝よう。
次に目が覚めた時。辺りはオレンジ色に染まっていた。
この色は、多分夕方だ。少し身体を動かそうとしてみる。
さっきよりも自由が利きそうだ。手足が動くので、布団から起き上がってみようとした。
そこで僕は気付いた。布団の上に何か乗っかってる？
僕はちょっと頑張って上半身を起こしてみる。
その子は僕に気付いたのか、ぼーっとしながら僕を見上げた。
眠そうな顔で、目をこすっている女の子。どこかで会ったことがある？
その子は僕に気付くと「あっ」と口を開けた。
「なおくん？大丈夫？」
僕は曖昧に頷いた。この子は誰だったろう。思い出せない。
お母さん…な訳ないし、妹…僕に妹はいたっけ？お姉ちゃん…もいたか覚えてない。
色々と考えを巡らせるが答えは出てこない。
でも女の子は僕の返事を待っている。
「えっと…だれ？」
どこかで聞いた声をしていて、どこかで会ったような顔をしている女の子。
多分知ってる女の子。思い出せなかった。
「わたし、保奈美だよ？藤枝保奈美！」
女の子は自分の名前を連呼するが、僕の記憶にその名前はなかった。
そして同時に気付いた。
「ぼく…だれ？」
自分の名前も出てこない。
僕は誰だろう、ここはどこだろう、なんでこんな所にいるんだろう。
それに気付いてしまったら、あとはもう何もかもが恐くなった。
自分自身も、目に見えるすべても、何もかもが恐い。
「わかんない。わかんないよ、恐いよ」
僕は布団を被りなおしてうずくまった。
「え？なおくん！？なおくん！」
女の子が僕を『なおくん』と呼んでいる。僕はその『なおくん』なのだろうか。
でもその声すら恐くなって、僕は小さくなりながら耳をふさいだ。
僕が反応を示さないと、今度はその声が湿り気を帯び始めた。
その声は僕が耳をふさいでもなおき聞こえてくる。
「なおくん！なおくんってば！ねぇ！なおくん！」
どのくらいそうしていただろうか、だんだんと女の子の声が涙声になる。
「なおくん……うぇっ…ぐす…うあぁぁぁぁん」
やがて女の子は本格的に泣き出してしまった。
泣き虫で、いつも僕の後ろを付いてきていた女の子。そんな子がいた気がする。
誰だったっけ？思い出せそう。
「うぁぁぁん。なおく〜ん！」
思い出せそうなのに。もう少しで思い出せるのに。泣き声がうるさくて集中できなかった。
「うるさいぞ。保奈美！」
僕は布団を押し上げると、その女の子に向かって叫んだ。
女の子は泣き腫らした目をまん丸にして驚いている。
なんでそんな顔してるんだ？今の今まで泣いてたじゃんか。
「なおくん？わたしが分かる？」
女の子がおずおずと、小さな声で聞いた。
そうだ、この女の子は保奈美だ。藤枝保奈美。名前と顔をはっきり思い出した。
「保奈美…だろ？」
俺が答えると女の子は俺に飛びついてきた。
「なおくん！良かったぁ！」
「わ、こら！やめろって」
抱きついてきて離れない保奈美を必至に引き剥がそうとする。
が、病み上がりの僕にはまだそんな力がなかった。
「お父さんとお母さんに知らせてくるね」
存分に抱きつかれたあとで保奈美はそう言って病室を出て行った。
保奈美には言わなかったけど、僕は保奈美以外のことは何も覚えていない。
それは保奈美もそのあと、すぐに知ることになった。
お医者さんから聞かされたことはこうだった。
記憶障害。
意味は良く分からなかったけど、昨日より前のことを覚えていないって意味だと思う。
結局僕は、保奈美のことは思い出せたけど、他のことは全然覚えていなかった。
自分の名前も、自分の家族のことも。
部分的に記憶が残ることはあるとか、自分以外の誰かしか覚えてないとは珍しいとか。
お医者さんが僕に説明しながら首を傾げてたけどよく分からなかった。
家族の記憶もないから、両親が行方不明になっていると聞いてもあまり悲しくなかった。
「そうなんだ」
なんとなく、僕は今ある現実を受け止めていた。
その後、僕は親戚だという渋垣さんの家に預けられることになった。
それと僕は久住直樹っていうらしい。
そこでやっと保奈美が、僕のことを『なおくん』って呼んでたのが理解できた。
退院してから1週間後、僕は小学校に行った。
でもクラスの男子も女子もみんな知らない子だからつまらなかった。
ううん、たぶん知ってたんだと思うんだけど覚えてなかったし、保奈美みたいに思い出すこともなかった。
初めのうちは何人かの男子が僕に話し掛けてきてくれたけど、僕がその子を覚えてないことに気付くと、
もう話し掛けてくれることはなかった。
だから僕は、唯一知っている保奈美といつも一緒に遊んでいた。
保奈美も僕が声をかけると、他の誘いを断って僕と一緒に遊んでくれた。
「あいつらまた一緒だ〜」
「夫婦だ、夫婦」
何度も茶化されることがあったけど、気にしたのは最初だけだった。
僕たちがそれを無視すると、しばらくして茶化す子はもういなくなった。
僕と一緒にいる影響か、保奈美も徐々にクラスから浮いた存在になりつつあった。
でも、それが現実になる前に卒業が訪れた。
あれから5年…。
俺と保奈美は変わらないスタンスで生活している。
「なおくん、あと3分だよ」
「何ぃ！？いつもよりヤバいじゃねーか！」
「頑張って♪」
俺の後ろに乗って腰に手を回している保奈美は楽しそうに笑った。
くそぅ、こっちの気も知らないで。
「坂の前を曲がったら一気に上るぞ。振り落とされるなよ」
「うんっ」
カーブに差し掛かると、絶妙な重心移動で保奈美が身体を傾ける。
減速せずに90度の直角カーブを曲がる。『対向車』なんてこれっぽっちも考えない。
その後、保奈美の腕に力が込められる。
俺はペダルを思いっきり踏み込んだ。
〜あとがき〜
現在進行形のほなみんSSは難しかったので、ありがち？な過去のSSを書き上げました。
本編で明かされなかった直樹君と保奈美ちゃんの過去を捏造してみました。
幼馴染みっていいなぁって思うと同時に、幼馴染みって難しいなぁって思う次第でした。
明確な年齢は倫理上、読み手の想像に任せますが、学園の2年生から5年前ってことで計算しました。