2年B組vs黒い悪魔
「ここでの主人公の言い回しについてですが」
黒板の下半分のみを使った結先生の授業。専用の踏み台ももう見慣れたもんだった。
いつもと変わらず、のほほんとした雰囲気の中で結先生の授業は行われていた。
「きゃぁぁぁ！」
しかし、教室の後ろのほうの女生徒から悲鳴が上がり、のほほん空気は破られる。
なんか前にも似たようなことがあった気がする。
「どうしました？」
慌てる素振りもなく、状況把握をする結先生。さすがだ。先生っぽい。
「ゴ、ゴキブリ」
女生徒が見るのも嫌そうに指差して答えた。
「わ、こっち来るな」
他の生徒もゴキブリが来ると足で追い払っている。やはり誰も触りたくないらしい。
「ねぇねぇ、ゴキブリって何？」
今回も美琴は俺にゴキブリとは何か聞いてきた。そんなことも知らんのか、コイツは。
「黒くて光る生命力の強いヤツだ」
俺はヤツの特徴をかいつまんで説明してやった。
「ふぅん、ホタルみたいなのかなぁ」
「まぁ、遠くはないな」
ホタルを知っててゴキブリを知らんとは、どういうこっちゃ？
まぁ確かにホタルも黒いし、光るよなぁ。
「…カッコいいかも」
「んなわきゃねぇよ」
徐々に悲鳴が近付いてくる。どうやらヤツはこっちに向かっているようだった。
と、足元を黒い物体が通り過ぎた。
「ほら美琴、そっちに行ったぞ」
「え？」
『それ』を見て固まる美琴。
「きゃ〜〜！」
今回もお約束どおりのオチをありがとう、美琴。
「せんせ〜」
クラスの前のほうにいた女生徒が結先生に泣きついた。
まぁ、以前のゲジゲジ騒ぎの時も結先生は大活躍だったからな。
「任せてください」
自身満々に答える結先生。
てててっと教壇を降り、丸めたノートを手にしている結先生。
「ゴキブリさんはどこですか〜？」
などと呑気に構えている。
「あ、そっちに行きました」
黒い物体が教卓の前に出現。
ヤツも自分を狙う気配に気付いたのか、睨み合う両者。
「えい！」
先手必勝とばかりにノートを振り下ろす結先生。
今回も直接相手をたたこうとはせず、音で気絶させる方法だ。
結先生の思惑通り、コロリとひっくり返って動かなくなる黒い悪魔。
「さすが〜」
「結先生すご〜い」
クラスから賞賛の声がいたる所から上がった。
「そ、そんなことないですよぅ」
顔を真っ赤にして照れる結先生。
「でも、ゴキブリを逃がすのってどうなのよ。料理部部長さん」
俺は近くの席の保奈美に話し掛けた。
「んー、衛生面を考えるとあまりよくないかな」
俺たちの話し声が聞こえたのか、結先生は
「無益な殺生は好みませんから」
そう言って微笑んだ。
懐から取り出したティッシュでゴキブリをつまもうとする結先生。
そのとき。
ひっくり返っていたゴキブリがくるりと起き上がり。
飛んだ。
ぴとっと結先生の額あたりに飛びつく悪魔。
ごそごそと結先生の小さなおでこを登る。
何が起こったのか、まだ理解できていない結先生。
固唾を飲んで見守る生徒たち。
一瞬の静寂の後…。
「いや〜〜〜〜〜〜！」
結先生の絶叫が教室内どころか学園中に響き渡った。
両手でゴキブリを払いをとすように、じたばた暴れる結先生。
ヤツは結先生の頭上を離れるとふらふらと飛び回った。
「わ〜」
「ぎゃ〜」
「こっち来るな〜」
最前線を務めていた結先生が散ってしまった以上、統率を取れる人間は残っていない。
幸い、事件は教室の前方で起こっているので、後ろの席に座っていた俺たちには滑稽なコントにしか見えない。
仕方ない、俺がひと肌脱ぐか。
「行ってくる」
俺は戦地に赴く兵士のごとく、隣の美琴に向かって親指を立てた。
「健闘を祈る」
美琴もノッってくれたようだ。
さて、どうしたものか。俺はヤツの行方を探りながら、前へ出る。
とりあえず結先生の持っていたノートを手に取った。
ちなみに、結先生はペタンと座り込んでぐしぐししながら目をこすっている。
うわ、マジ泣きだ…。
ガラガラガラ！
「何事ですか！？」
勢い良くドアを開けて飛び込んできたのはフカセンだった。
数学の授業中だったのだろう、手には大型のコンパスを持っていた。
おや？あー、今そっちに元凶が…。
「ん？」
フカセンに向かって飛んでいく黒い物体は…。
フカセンのメガネに張り付いた。
「ぬおぉぉ」
フカセンは突然のことに後ずさる。
いきなり追い詰められた。哀れ、フカセン。
すぐ後ろには教室の扉が。思い切りぶつかって盛大な音がした。
どこか打ったのか、フカセンはそのまま倒れ込むと動かなくなった。
クラスの連中のほとんどはフカセンより扉の状態のほうを気にしていた。
フカセンを退治した悪魔は側にあった委員長の席の前を通過して飛んでいった。
委員長は動じた様子もなくじっとしていた。こんな時は彼女が率先して、混乱を収めようとするはずなのだが…。
ヤツに一瞥をくれると、委員長は興味なさそうにして教科書の先を読み始めた。
わぁぁ…天下の委員長が見なかったことにした！
委員長もヤツが相手じゃダメなのか？
そんな訳で再び結先生の近くに舞い戻ってきた黒い悪魔。
それを見た結先生は動くことも出来ず、さらに目に涙をためるばかりだった。
ヤツは我が物顔で教室を闊歩してやがる。出番だな。
そこを遮るように仁王立ちの俺。
すがるような目で俺を見上げる結先生。めちゃめちゃ期待されているらしい。
「あ、なおくん。ちょっと待って」
さぁ攻めようか、という時に保奈美に水をさされた。
「なおくんの武器はこっち」
さりげない動作で俺の手にあったノートが差し替えられる。
見たことあるノートが握らされていた。言うまでもない、俺のノートだ。
そういえば、結先生のノートを持っていたんだっけ。
まぁ武器が俺のノートに変わった所で別に問題は。
……。
それは酷くありませんか、保奈美さん？
そんなやり取りを知ってか知らずかヤツは動かない。こっちの動きを警戒しているようだった。
じりじりと間合いを詰める。やつはまだ動かない。
さらに間合いを詰め、一振りで射程圏内の所まで来た。
シンと静まり返っている教室。微妙にフカセンの唸り声がうるさい。
ゴクリ…。
思わず生唾を飲みこむ。勝負は一瞬。
「せいっ！」」
勢いをつけたり、振りかぶるなどの余計な動作をすべて省き、丸めたノートを押し付ける。
叩く、というよりは潰す動作だ。
しかし、ヤツも負けてはいない。僅かに動いてギリギリの所でそれをかわすと、再び飛ぶ。
「甘い！」
返す刀で飛んだヤツを今度は叩く。
ペシッ。
「決まった」
確かな手ごたえがあった。俺のノートは間違いなく空を飛んだ悪魔を迎撃したはずだ。
しかし、この手ごたえが再び惨劇を生む。
「ひっ」
結先生が小さな悲鳴をあげた。
越えのほうを見ると俺が振ったノートに弾かれた悪魔は、あろうことか結先生の方向へ。
ん？これは俺が悪いのか？
生きてるのか死んでるのか分からないが、とりあえず悪魔は結先生の膝元に乗っかった。
自分の膝元一点を見つめる結先生。
見る見るうちに、結先生の目に涙が盛り上がってくる。堤防はもう決壊寸前だ。
結先生は大きく息を吸い込んだ。
「いや〜〜〜〜〜〜！」
今日2回目の結先生の大悲鳴が学園中に響き渡った。
〜あとがき〜
ちなみにヤツはこんなに頻繁に飛んだりしません。壁を登ってて落ちそうになった時くらいでしょうか？
飛んでるヤツが一番恐いと思います。
1匹見ると30匹いるって言われますので、続きます（笑）